フェアリル研究(第三講-A)
みんな、おはリル!
もう第三回なんだね。三日坊主って言葉があるけど、3回目までいくと多少の慣れが出てくるし、「今日はもう書かなくてもいいかな~?」って怠け心が出ちゃうんだよね(笑)
でもでも、まだまだ始めたばっかりだし、時間があるときにドンドン更新していくよ!
さあ、じゃあ第三回、つまり第3話から勝手に問題を提唱していこうね!
今回、提唱するのはこちら!
第3話Aパートの話題です。
……なんか、私毎回どっちかしかやってませんね。そろそろA・B両方共から話題見つけましょうか。
気を取り直して、今回の話題はこちら!
『ローズちゃんの魔法はなぜ使えなくなったのか?』についてです!
第3話はりっぷちゃんとローズちゃんのお話がありますね。
それはローズちゃんが成績評価のためやりっぷちゃんを失敗させるためにフェアリルマジックを使ってしまい、その反動で魔法が使えなくなるということが起こりました。
その理由はフェアリルゴール・フェアリルマージも話していましたし、フェアリルマジックは自分のために使うものではなく、相手のことを思って、思いやりを持って使うものだってぼっくり先生も言っていました。
しかし、ローズちゃんはそのルールを破り、りっぷちゃんへの嫌がらせにフェアリルマジックを使ってしまいました。すると、突然フェアリルマジックが使えなくなってしまいました。それを見ていたフェアリルゴール・フェアリルマージは迷いの森で競争をさせ、2人が共闘するように仕向けます。りっぷちゃんがピンチに陥った時、ローズちゃんは魔女のつたを焼き切るためにフェアリルマジックを使いました。
この物語の中で、ローズちゃんは一度フェアリルマジックが使えなくなってしまった、ということです。
「そんなのどこに矛盾があるの?」と思われるかもしれません。
私が疑問に思ったのは、その1話前のお話を思い返してほしいんです。
『すれみ&ひまわり、最初のフェアリルマジック』で行われた授業についてです。
そこで初めてのフェアリルマジックはみなさんが大好きなものを心に描き、それを出現させるというフェアリルマジックを勉強する、という内容でした。
そこで初めてのフェアリルマジックはみなさんが大好きなものを心に描き、それを出現させるというフェアリルマジックを勉強する、という内容でした。
「これって自分のためにフェアリルマジックを使ってません……?」
そういう問題が発生しているんです。
この問題、勝手に解決しちゃいましょう!
だって、本来ならローズちゃんみたいにフェアリルマジックが使えなくなっちゃうんですから。
そこで私は色々考えました。今回は半日くらい考えたんですよね。レポート並みの構想をしましたね(笑)
そのおかげでなかなかちゃんとした理由付けができるようになりました。
てことで、お話ししましょう。
まず、フェアリルマジックの根本は『フェアリルマジックは自分のために使うものではなく、相手のことを思って、思いやりを持って使うもの』です。
それはどうやってもゆるぎないことです。
では、なぜこの授業では自分の好きなものを出すことを行えたのでしょうか。
その回答を、今回は神学、つまり宗教的な解釈を加えていこうと思います。
キリスト教の聖典、聖書には次の言葉が乗っています。
『ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言いこめられたと聞いて一緒に集まった。その中のひとり、律法の専門家が、イエスをためそうとしてたずねた。「先生、律法の中で、どの掟がもっとも大切でしょうか」。イエスは言われた、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これがもっとも大切な第一の掟である。第二の掟もこれと同じように大切である。自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」』
この部分はこちらのサイトから引用させていただきました。
(引用:http://blog.tatsuru.com/2009/03/19_1213.php)
これはマタイ伝22章に記載されています。
ここに書かれていて、有名なのは『自分を愛するように隣人を愛せ』って部分が一番有名なのかな? って思います。どうでしょう? わかんないですけどね笑
この言葉がどういう関係にあるのかと言いますと、この言葉、「自分を愛するように人を愛しなさい」って言っています。
ではこれを言い換えてみましょう。
そうすると、
「自分を愛せないのにどうやって人を愛せますか?」という言葉になりますよね。
私が抜粋した部分の解釈はそういう意味であっているそうです。
多くの人は、『自分の愛しているやり方で他の人も愛しなさい』って解釈するそうです。
その解釈もありなのかもしれません。人はどこか自分のことを認めています。
しかし、近年自分のことを認められない人が多いのも事実です。自己同一性(アイデンティティ)が薄い人が増えています。そういった方はインターネットの人とのつながりを重視したり、リアルよりバーチャルの世界を生きようとしています。
「ネットの世界は私を認めてくれる」や「ネットの世界がすべて」になっている人も社会にはいます。
実際、スマホに依存している子を助けるためにスマホを解約した両親がその子に殺される、という事件が発生しています。
その子にとっては、そのバーチャルの世界が何よりも大事だったのでしょう。
つまり、愛せないや愛し方を知らない人が増えているのです。
ではフェアリルたちはどうでしょうか?
りっぷちゃんは最初、望さんと出会っています。そこで応援や笑顔の温かみに触れあい、運命的な出会いを果たして誕生しています。
2期のりんちゃんも同じくカレンちゃんと運命的なつながりを持っています。
ですが、他のフェアリルはどうでしょう?
まだフェアリルたちは生まれて間もない、赤ちゃんみたいな存在です。悪さもしますし失敗もしちゃいます。
それと同じで、第3話の時点ではフェアリルたちは愛する方法をまだ確立していないんじゃないでしょうか。
ですが、フェアリルマジックの基本は『相手を愛し、思いやる』ことです。
その相手を愛するにはまず自分を愛する必要があります。
では、自分を愛するには何が必要でしょうか?
それは自分を信じること、さらには自分を認めることが重要です。
そうすると、この授業では何が行われているのか、もう一度見方を変えて考えることができます。
ぼっくり先生の「自分の好きなものをフェアリルマジックで出す」、「好きなものなら心に強く浮かべられる」というこの2つはこう言い換えられます。
「あなたは自分が何が好きか、自分の好き嫌いをちゃんと認めていますか」
「その好きなものを出すということはそれに対して愛するということですよ」
と、いうことはここでフェアリルマジックを失敗して「大きくて優しい笑顔の文房具のお化け」を出したりっぷちゃんは、フェアリルマジックの基本の「愛を示す」ということがずれてしまっているんですね。
なので、あの魔法で生まれた大きくて優しい笑顔の文房具のお化けは暴走し、暴れ始めたと取ることができませんか?
さて、ここまで考察を語りましたが、実はお話はまだ終わってないんですね。
この後の続編で、さらに深くに切り込もうと思っています。
なので、そちらでまたお会いしましょう!
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